人間は教育を受けてこそ人間たる存在になれるのだと思います。「人間は生まれながらにして無限の可能性と特別な個性を持った有能な存在である」という、まるで「世界に1つだけの花」の歌詞の世界のようなおとぎ話って、ほんとあほくさい。
現に教育制度が整ってない国では常に内戦状態だったりします。感情だけで対立を続け、怒りと怒りをぶつけ合うだけで、自制なんてものはなし。ゾマホンが自書の収益を自国へ援助するのに、金銭や物資ではなく小学校建設を選んだのはまさにそれ。立派だと思います。
ところで教育基本法改正。自分の生まれた国を愛することが戦前復古で戦争につながるからけしからんなんて主張が大量発生する国って、世界広しと言えども日本だけでしょう。
ここで言われている愛国心って、パトリオットのことであって、ナショナリズムではないんです。それを全てイコールナショナリズム→戦争勃発って、どんなおめでたい思考回路してるんでしょうか。
←きっとこういう感じなんでしょう。自分の国を愛せない人間に、他の国を思いやれるわけがありません。石原都知事曰くの、ナショナルがなければインターナショナルなんてあるわけがないってのも当然のことです。
もちろん愛国心・自己愛が強すぎるのは問題ですけどね。
本来自分の生まれた国を愛する気持ちは当然持ってる自然な感情であって、わざわざ明文化するまでもないはずですが、日教組とか一部のホームランバカがそれを否定するから、否定の否定で明文化になるわけで。
卒業式の国旗掲揚・国歌斉唱もそう。従わなければ処分なんて思想の強制だ!ってのも、元はと言えば火のないところに煙を立てる奴がいるから、その消化剤を撒いてるだけです。これも否定の否定。
で、また笑わせてくれたのがこういう人たち。
<教育基本法改正案>文化人、学者らが反対声明
(一部引用)
教育評論家の尾木直樹さんは「教育の問題は国家に決めてもらうものだろうか。与党からの『押しつけ基本法』だ」と述べた。
教育の問題は国家が決めるものです。
押し付けのない教育なんて存在しません。人に何かをしてもらったらありがとうと言おう、迷惑をかけたらすみませんと謝ろう。これもいわば押し付けです。押し付けがダメってことは、ありがとうと言うかどうかはあなたが自分で考えましょうとでも言うつもりなんでしょうか。社会を構成する一員として子供を育てるのに、社会の規範を教えるのには強制力が伴うのは当然のことなのです。
押し付けがあってはならない場面って、物事の判断基準が善悪ではなく好き嫌いでOKの場面ではないでしょうかね。国旗・国歌・社会規範を好き嫌いで判断されてはたまりません。
で、散々押し付けを否定し、人権だ個人の自由だばかりを過剰に尊重し、自分の人生は自分のためだけにあるかの如くの教育の結果がこれ。
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青少年・子供の乱れ具合は、国の乱れ具合を測る物差しです。日本は自分さえよければいいという狂った自己愛を大量発生させてしまったのです。
これまでのように、何でも自由だ個性だと子供を放っておくと過剰な自己愛が生まれるのは当然です。それをさらに放置すれば、まさに自分しか愛せない俺様人間の出来上がりです。それを上手くコントロールするために、国・故郷・家族・文化など大きな単位へ愛を育むことが必要になるのです。
教育基本法は具体的にどうこうというものではなくて基本理念ですが、こういう結果を出したいというものが明確でないと、それに達するまでの過程を選択できないのが世の常です。
例えば、こういう髪型にしたいという出したい結果が明確にあってこそ、ワックスを使うか、スプレーを使うか、ムースを使うかという過程を選択できます。どういう髪型にしたいのかはっきりさせずにいきなりワックスだスプレーだとやっても失敗するだけです。
まずこういう子供を育てたいという理念を明確にすることで、初めて様々な教育問題への具体的解決策を練ることができるのではと思います。
祖先に感謝し、子孫に責任を持つ。
これを理念に掲げている自民党には、公明党との連立を解消するくらいの意気込みで取り組んでほしいと思います。言葉遊びではなく、しっかりとした理念を掲げてください。
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コメントありがとうございます。
いつも貴ブログ楽しく読ませて頂いています。
ゾマホンには見習うべき点が非常に多いですね。
アフリカの子供たちに愛の手を!という募金は
どうも裏に何かあるんじゃないかと疑ってしまうのですが
文房具を送ろう!というのには賛同したいと思っています。