同じ留学でも、在籍中に行方をくらまして不法滞在する中国人留学生や、チャラチャラした気持ちで明確な目的もなく渡米する語学留学なんてものとはわけが違います。彼らはマレーシアの国家プロジェクトとして選ばれた、エリート中のエリートです。
母国ではもちろん成績優秀、日本語学校で2年間ほどみっちり日本語を勉強し、来日の時点で既にペラペラ(ちなみに英語・ドイツ語も話せました)。国家の威信を背負って日本の技術を学びに来た、ほんとは私なんかとは住む世界が違うエリートです。
そんな彼らと初めて会った日の、自己紹介のときに話していたことが、今でも忘れられません。ふたりが共通して話していたことは、
「日本の技術を学んで、マレーシアの発展に貢献したい」
というものでした。
その当時は、ふ〜んくらいにしか思わなかったのですが、あれこそ最も純粋な「愛国心」だったんだなぁと今では思うわけです。母国への愛国心はもちろんのこと、日本に対する敬意というものがありました。相手を敬う気持ちを含んでこそ、真の愛国心と言えるのではないかと思います。
日本もこれまで、科学技術・音楽・映画・ファッション・スポーツなどなど、あらゆるジャンルにおいて先進国のものを取り入れてきました。砕いて言えばパクってきました。しかし常に、パクリ先に対する敬意を忘れませんでした。間違ってもパクったものを日本が発祥の地だ!なんて言ったことはありません。遠くマレーシアから日本の技術を学びに来た彼らですが、やはり日本に対する敬意を忘れませんでしたし、だから私も彼らに、そして彼らの国に敬意を持っていました。
ところで、日本国内で日本人が「日本の発展に貢献したい」って言ったら、微妙な空気になるでしょう。何この人熱くなってんの?みたいに。情けない話です。
それもこれも、筑紫哲也が言うところの、自分の国を愛すること→戦争が起こるという、ミラクルな方程式のおかげ。国のため・社会のためではなく、自分だけのためにというスタイルがカッコイイ、みたいな風潮。なんだかとっても酸っぱい臭いがします。筑紫哲也も、愛国心が戦争につながると言うなら、言う相手を間違えています。
例えばお隣さんのように、何でもかんでも我が国が最高イムニダ!日本は歴史を反省してないアルヨ!という過剰な自己愛は危険を孕んでいますが、あれは「のぼせ」であって「愛」ではないのです。のぼせには相手を敬う気持ちなんでありません。技術も文化もパクるだけパクって、文句を言われたら「もう定着している」と逆切れ、挙句の果てには自国が発祥の地だ!と居直りです。
自分を愛せてこそ相手を愛することができると思うので、自分を愛すること自体は否定しませんが、その自己愛がただののぼせなら、私は否定したいと思います。相手を敬う気持ちが元からない人たちとは、距離を置くのがよいでしょう。
日本では長く、のぼせも愛もごちゃ混ぜにして全ての愛国心が否定され、その結果自分だけが最高という輩を大量発生させました。「自分の国を愛しましょう」と言って、それが問題視される国なんて、日本以外にどこにあるでしょう。
近年ようやく、その流れが変わってきました。のぼせは否定されるべきだが、相手を敬う気持ちを持った真の愛国心は否定されるものではないということが堂々と主張されるようになり、それが浸透してきました。どんなことでも「仕方がない」だの「何も変わらない」だのと試合放棄せず、粘り強く続ければ、正論は必ず実現されると私は信じています。
憲法記念日だからというわけではないですが、青臭いながらも愛国心について考えてみました。
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